教育再生会議は、教育二極化会議
(学校評価制度やバウチャー制度の導入など、競争原理が教育の質を向上させるというのは真っ赤なウソ)
2006.11.29
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▼再生会議は、素人集団の寄せ集め
 教育再生会議のメンバーは、素人の寄せ集めだ。例外的に、100ます計算で一躍脚光を浴びた陰山氏やヤンキー先生こと義家氏など、教育で実績を上げたメンバーがいるものの、その他は、ただエリート中のエリートというだけで、教育については点でど素人ばかりだ。

 座長を筆頭に、ノーベル賞受賞者の野依良治(独立行政法人理化学研究所理事長)、座長代理が池田守男(株式会社資生堂相談役)。二人とも、「毎日お昼ご飯代が500円ですむかどうか悩まなくても良いくらい」のエリートだ。ほかにも、有名どころの理事長や会長など、とても分数のたし算やひき算ができなくて悩むような庶民ではない。

 こぼれ話だが、日本テレビ系列で絶大な人気を誇った教育ドラマ「女王の教室」の女王こと阿久津真矢役の「天海祐希」にも打診があったという。だったら、金八先生こと武田鉄矢でも呼んだらどうだろう?GTOこと反町隆史はなぜ入っていないのか?ドラマの俳優ごときに国家百年の大計が何とかなるわけがない。もうなりふり構わず、ただ有名どころを集めただけなのが見え見えだ。こんな、教育の素人集団を集めていったい何を議論するというのだろうか?

 思えば、内閣府が主催の教育改革タウンミーティングで、政府の都合のいいように発言するよう「やらせ」が横行しており、しかも謝礼まで支払われていたということで問題となった。

「教育基本法を改正すべきではないのか?」
「教師の指導力不足が問題となっている今、教員免許の更新制を実施すべきではないか?」

さも、国民がそう思っているかのような世論を政府がでっち上げていたのだ。

 言うまでもないが、当時の内閣府のトップは官房長官の安倍晋三という男である。今の総理と同姓同名の他人というわけではない。当の本人そのものだ。こんな調子で「バウチャー制度を導入すべきだ。国民もそれを望んでいる」などと戯言をほざきだしたら、いよいよ危険だ。

 そもそも、こんな素人集団の寄せ集めで、「船頭多くして船山にのぼる」ということわざ通りにならないのはなぜか?それは、何をどう議論しようとも「結論ありき」だからなのだ。どうころんでも「イギリスの教育改革を手本とする」という結論だ。そこに教育再生会議という欺瞞があるのだ。

▼イギリスのような教育後進国から学ぶことはない!
 安倍晋三は、著書「美しい国へ」で、イギリスの教育改革を絶賛している。しかし、イギリスは女王直轄の機関が学校を監視するなど、国家による過剰なまでもの教育への干渉が問題となっている。事実、1980年代の改革によって、退学者の急増に代表されるように教育の荒廃がとても問題となっている、国家による統一テストによって、すべての学校が成績を公表しなければならず、成績が悪い学校は、国家の介入によって廃校に追い込まれる。学校間で競争を促した結果、校長のなり手がない学校が1300校にものぼる。こうした制度は「点数と恥をさらすだけ」と揶揄されているほどだ。

 そもそも2000年のOECDのが学力調査で、総合読解力こそわが国と遜色ないものの、数学のリテラシーでは日本が1位だったのに対してイギリスは8位、科学的リテラシーでも日本が2位なのに対してイギリスは4位しかない。2003年のIEAの学力調査でも、小4の算数で日本が3位なのに対してイギリスは10位、中2の数学で日本が5位なのに対してイギリスは18位(学校の実施率が国際基準を満たしていないため暫定の順位)である。

 どう転んでも、イギリスはわが国より後れをとっている教育後進国だ。そんな教育後進国からいったい何を学べというのか?

▼ゆとり教育はイギリスの教育を模倣したから失敗した
 そもそも、日本が世界に誇る教育大国だった1970年ごろ、学力低下を始め教育の荒廃に悩むイギリスやアメリカは、わが国の教育を手本としようとしていた。その一方でわが国は、「詰め込み教育は良くない!」というたスローガンのもと、イギリスやアメリカの教育を手本として“ゆとり教育”が始まろうとしていたのだ。

 当時の英米の関係者は、「われわれは教育の荒廃に悩んでいて、教育大国である日本を手本としようとしているのに、どうして日本はイギリスやアメリカなんかの教育を手本とするのか不思議がっていた」という。わが国のゆとり教育という失敗は、当時も教育後進国であったイギリスやアメリカなんかを手本としたからに他ならない

▼このままではゆとり教育の二の舞である
 日本が、詰め込み路線からゆとり路線へと舵をとったのは、「教えるべき内容を減らし、子どもの主体性に任せることが良い教育だ」という誤った教育観を盲信したからである。

 こうした教育観は、イギリスとアメリカですさまじいまでの学力低下を引き起こし、やがては教育全体の荒廃へとつながり、その後長い間イギリスとアメリカを苦しめることとなった。明らかに間違った教育観を日本は1980年代に輸入してしまったのである。

 安倍晋三という男は、ゆとり教育の二の舞を演じようとしているのか?

▼安倍の言う良い教育とは、「エリートにとって都合の良い教育」という意味
 実は、教育再生会議がゆとり教育の二の舞にならない理由がある。それは、安倍晋三の言う良い教育とは、国民にとって良い教育という意味ではなく、「エリートにとって都合の良い教育」という意味だからだ。そういう教育を目指しているのだから、ゆとり教育の二の舞になるどころか、ますますゆとり教育のウラに隠されたねらい通りの教育改悪をすすめようとしているのだ。

 ご存じのように、ゆとり教育によって学力は低下した。その低下した学力は、日本人のうちの中下位層の学力だ。三浦朱門は教育課程審議会で、ゆとり教育の本当のねらいを
できん者はできんままで結構。(中略)限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいい。」
と発言した。エリート教育というと聞こえが悪いからゆとり教育と呼んだだけということだ。

 また、教育基本法を改正し、「愛国心」教育を行おうとしている。国旗国歌制定法成立時には、本法令が国旗や国歌を強制するものであってはならないという取り決めがあるにもかかわらず、東京都では、式典で国旗掲揚時に起立しなかったり、国歌斉唱時に歌わなかった教師に、国旗国歌を強制することがまかり通っている。

 今まさに、その通りになっているから恐ろしい。

▼なぜバウチャー制度なのか?
 バウチャー制度は、本場のアメリカでさえも、たった6つの州でほそぼそと実施されているに過ぎない。イギリスにいたっては、とうの昔にバウチャー制度などやめている

 にもかかわらず、なぜ今さらバウチャー制度なのか?そこに教育再生会議の欺瞞があるのだ。

 バウチャー制度は、教育予算が学校につくのではなく、児童・生徒1人あたりにつく。だから、私立、公立という分け隔てなく、集めた児童・生徒の人数に応じて予算が配分される。当然、多くの児童・生徒を集めた学校は多く予算がもらえ、そうでない学校は少ない予算しかもらえない。

 問題なのは児童・生徒の数は限られているということだ。これは言い換えると、限られたパイを奪いあうということであり、こうした競争原理は、勝者が決まれば自動的に敗者が決まる。これは教育の質を向上させるわけではなく、単に勝ち組の学校と負け組の学校という二極化を招くだけである。

 「負け組の学校には早々に退場してもらう!そうすれば、教育全体の質が向上するではないか?」という意見は、一見正しい理屈のように思えるが、実は真っ赤なウソである。なぜなら、負け組に認定された学校には、現に子どもが通っていて、そうした子どもたちの教育水準は保証されないからだ。負け組に認定された(認定されるような)学校に通っている子どもたちは、今以上に貧弱な教育しか受けられない(受けられなかった)ということだ。

 バウチャー制度は、どこかの学校が貧乏くじをひくことに他ならない。その貧乏くじをひく学校の多くは、私立の学校ではなく公立の学校であり、教育水準の高い家庭が集まるコミュニティの学校ではなく、教育水準の低い家庭が集まるコミュニティの学校である。

 そもそも、中高一貫校で中学段階から優秀な生徒を集められる私立の中学校と、生徒の選り好みができない公立の中学校が競争しても結果は目に見えている。 バウチャー制度は、私立の学校に明らかに有利なのだ。

 これでは、良い教育を受けられる人だけがますます良い教育を受けられ、そうでない人は今以上に貧弱な教育しか受けられないということを意味する。

▼「競争原理が教育の質を向上させる」というのは真っ赤なウソ!
 結論を述べれば、「競争原理が教育の質を向上させる」というのは真っ赤なウソである。教育現場に競争原理を持ち込んで、成功した例はほとんどない。アメリカやイギリスなどが良い例だ。

 そんなことよりも、もっとわかりやすい例がある。それは2003年のOECDの学力調査で、学力世界一になったフィンランドの例だ。フィンランドの学力世界一の秘密は競争原理ではない。

▼学力世界一のフィンランドの教育に競争原理はない!
 学力世界一のフィンランドには、教育に競争原理など持ち込まれていない。それどころか、競争原理とは無縁で、当たり前のことを、ただ当たり前に教えているにすぎない。そこにフィンランドが世界一たるゆえんがあるのだという。

 もともと、フィンランドは「落ちこぼれを作らない」という発想が、学力世界一の原動力となっているという。しかもその背景には、日本の教育を手本していたというのだから、日本は自国の教育にもっと誇りを持つべきだったのだ。それを、イギリスやアメリカなど教育後進国を見習って、教育に競争原理を持ち込もうとしているのだから、誰が見てもおかしな話だ。

▼フィンランドの「○○○○○○の高さ」こそ見習うべきではあるまいか?
 フィンランドの学力世界一たるゆえんは、「教師の指導力」の高さにある。競争原理の導入などでは絶対ない。

 フィンランドでは、原則教師は大学院の修士課程を出なければいけない。つまり、大学と大学院で教育理論や実践方法を学び、高い指導力を身につけないと現場で教壇に立つことができないのだ。フィンランドでは、医学部と同じくらい大学の教育学部へ入学するのは難しいという。また、医者と並んで教師は人気ありと尊敬のまなざしで見られる職業である。学力をつけるのは学校よりも塾の方と揶揄されたり、破廉恥行為で捕まる教師が後を絶たない、どこかの国とは大違いである。

 バウチャー制度などという成果が疑わしい制度の導入を考えるくらいなら、フィンランドのこの教師の指導力の高さこそ見習うべきなのではあるまいか?

▼バウチャー制度は金持ちにとって都合の良い制度
 ここでいう金持ちとは、官僚、政治家、企業の社長、医者や弁護士など、エリートのことである。

 2006年度に、トヨタ自動車は初年度納付金が300万円もする全寮制の超エリート中高一貫校の海陽学園を開校した。「公立は馬鹿が行く学校」というゆとり教育を主導してきた裏で、財界、文部科学省、政治家は、このエリート校の設立に多いに寄与していたという。

 それもそのはず。政治家や官僚や企業の社長はご子息を、さっさと学費の高い私立中学へ通わせている。お馬鹿さんが行く公立の中学校なんかにではな。それでも、高額の学費を私学へ払って懐が痛むのはいやだと見えて、子どもを私立に通わせても懐が痛まない制度、つまりバウチャー制度を導入しようと画策しているのである。

 バウチャー制度は、学校に予算が配分されるのではなく、あくまでも子ども一人当たりに予算がつく。だから、宗教教育を母体とする私立の学校へ予算を配分しても、政教分離が原則である憲法に抵触しないというのがウリのようだ。ちっちゃな頃から私立の学校へ通い、困ったことがあったら後に政治家になる大物家庭教師を高額で雇い、ゆくゆくは総理まで上りつめたおぼっちゃまはそこが気に入ったようである。

 さて、もう一つ、バウチャー制度が金持ちにとって都合の良い制度たるゆえんがある。それは、子どもを私学へ通わせる金持ちではなく、私学経営者にとってという意味である。私学の経営基盤は、生徒からの授業料や寄付金などの納入金であるが、国から「私学助成金」という補助を受けている。日本私立学校振興・共済事業団がまとめたアンケートによると、「私立高校の経営者の83%が今後の学校経営に強い危機感を募らせている」ということが明らかになっている。

 そんな状況で、バウチャー制度の導入は私学経営者にとって濡れ手で粟なのだ。もともと私立の学校、特に私立中学は、私立間での競争の上に成り立っており、バウチャー制度の導入で今さら競争原理を導入されたところで自然体でいればいいだけの話だ。むしろ、バウチャー制度の導入によって、生徒一人当たりに予算が配分されるのなら、私学経営にとってこの上ない朗報だ。なぜなら、中学校に関しては、私立と公立で明らかに私立の学校の方が保護者の信頼が高く、だが、いかんせん高い学費がネックであったからだ。しかし、バウチャー制度の導入により、今まで高嶺の花と思っていた保護者が、これを機に私学へ殺到する可能性が高い。そうすると、私学経営者にとっては濡れ手で粟となるわけだ。

▼あるメンバーがテレビで公然とウソをつく
 とってつけたような理屈をあとからつけるのは政治家や官僚の常套手段だ。バウチャー制度の導入が教育格差をなくすというのはまったくもって根拠のないことであり、むしろチリではますます教育格差を広げたことが問題となっている

 さて、バウチャー制度を絶賛している人のほとんどが、何らかの形で私学に関わっている人物である。そんな教育再生会議のあるメンバーのW氏も私学経営者である。そのW氏はあるテレビ番組に出てウソ八百を並べていた

 ことの流れは、まず、タレントのM氏が
「バウチャー制度を導入したら、いい学校っていうのは 所得をきちんと払っている親がどんどん入れて、私それすごくなんか差別的な気がする」
という発言に始まる。

 これを受けた、再生会議メンバーのW氏が
「バウチャーはそうじゃないですね。バウチャーというのは補助金が通常学校に直接来るものを一回親に渡してください。親が学校を評価してくださいというそういう制度です。ですから、格差は、かえって私立と公立の格差は逆に縮んで、貧しい子も私立に行けるような、そういう制度を作りましょう、というのがバウチャー(制度)です。ですから格差は縮みます。」
と発言している。

 これを受けてM氏が
「そうなんだ。じゃあ誤解していた」
と考えを変える、という展開だった。

 しかし、バウチャー制度が格差を縮めるという事実はなく、むしろより格差を助長しているという例も報告されているのが実態だ。つまり、バウチャー制度が格差を縮めるというのは、実は何の根拠もない単なる希望的観測に過ぎず、これをあたかも事実のであるかのようにかたり、出演者ならびに視聴者に誤解を与えたことは、とても問題のある行為だろう。

 再生会議のメンバーが、何の根拠もなくバウチャー制度を絶賛するような発言をするのはなぜか?そもそも、バウチャー制度に関する研究会で「バウチャー制度がどういう制度なのかを、まだ議論している最中」なのではあるまいか?

 何のことはない。教育再生会議のメンバーが、「まだ結論が出ていないはずのバウチャー制度が、教育格差を縮める制度だと断言している」のだから、これは茶番である。いかに教育再生会議が「バウチャー制度を導入すべきかという結論ありき」の欺瞞集団であるかということを象徴するやりとりだ。

 そもそも、もとをただせば私立や塾に通わないとまともな教育が受けられなってしまったゆとり教育という改悪を問題視すべきであって、国民がいつからバウチャー制度のような制度の導入を望んだのか?もっとも、ゆとり教育を導入したエリート達は、ゆとり教育を失敗とは認めていないのだから、こんなことは愚問なのだろうが、いつの間にか「バウチャー制度導入すべし」という話が進んでいること自体、遺憾である。

 
▼もとをただせば
「私立や塾に通わないとまともな教育が受けられない」というゆとり教育が問題なのだ!
 ゆとり教育は格差をつくる教育だった。

 実際、ゆとり教育になって削減された3割の内容のほとんどは、高校へのしわ寄せとなっている。進学校の高校の多くが、7時間目や8時間目の授業をつくったり、土曜日も補習を行ったり、はたまた通常50分の授業を48分にしてその分少しでも多く授業を確保しようと必死だ。こうした不断の努力により、公立校でも超進学校なら有名大学の合格実績を上げることができた。しかし、中堅どころの進学校は壊滅的なダメージを受けている。

 国は「各学校に創意工夫をせよ」を命令しておいて、「世界史を外すことはまかりならん」と言い出す始末である。あれはだめこれはだめという国家による学校の管理を厳しくしておして、でも成果を出せとはどだい無理な話だ。教育に競争原理を持ち込むということは、必修とばしなどのインチキを行ってでも、とにかく結果がすべてと言っていることと同じだ。1990年代に、相対評価は、他人をけ落としてでも良い成績を得ようという悪しき競争原理だということで排除したはずではなかったのか?
一昔前は、競争原理が教育をダメにすると言っておいて、今は競争原理が教育を良くするという。その時その時で、都合の良い解釈をして国民を愚弄している証拠だ。

 もとをただせば、国が「学校に権限を与えないくせに、責任だけは学校に押しつける」という構図こそが教育をダメにしているのだ。一方で公立の学校をダメにする制度を導入しておいて、その一方でバウチャー制度で「私立にも通えます」というのでは、余りにも国民を愚弄しすぎだ。

バウチャー制度が教育を崩壊させる
(教心ネット:http://www.kyo-sin.net/)

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