| 国語教育と新しい学力観 | |
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| ○新しい学力観が国語力を低下させている | |
| 日本の国語教育はおかしい。読み書きなどの基礎基本を徹底せず、文学偏重、あるいは劇や発表ばかり。登場人物の気持ちを自由に発表しようと子どもに語りかけても、結局答えはひとつ。個性重視といいつつも、結局は結論ありきでそこへ誘導する。それならば、そんなまわりくどいことをせず、はなっから読解力(リテラシー)を養えばよいではないか。 そんなので、子どもに興味や関心が育つわけがない。それどころか、国語力はまったくつかない。今も昔も、子どもたちは読み書きが苦手だ。教科書を読むのに、ところどころでつっかえて、読み間違い読み飛ばしのオンパレード。あげくには、「行う」や「用いる」を「いう」とか「よういる」とか読み出す始末。これでは本文に書いてあることなど理解できるはずもない。こういうケースに限って、教師は「教科書をしっかり読みなさい」とあいまいな指示を出す。トレーニング不足で読み間違いや読み飛ばし、漢字が読めないのだから、教師はこういうトレーニングに責任を持つべきだ。責任転嫁も甚だしい。 5年生で「納」という漢字を学ぶのだが、例として「納税」を学んだだけでは、後日「のうにゅうを漢字で書きなさい」と言われても多くの子どもが答えられない。ましてや訓読みの「おさめる」は、収める、治める、修めるとの使い分けはなかなかできるようにはならない。国語教育の本質はまずこうした読み書きから始まるのに、現場では非常におろそかにされている。漢字学習ひとつとっても、教師が結果責任を負うようなシステムになっていないのだ。 それどころか、「登場人物の気持ちを絵に表してみましょう」とか、劇をやって「はい楽しかったね(ちゃんちゃん♪)」といった教師の自己満足程度の授業が主流だ。 そんな国語教育への不満を抱いていた時に、ふとこんなサイトを見つけたので読んでみてはいかがだろうか。 新学力観は不信学力観 http://www.h2.dion.ne.jp/~ondine/sonota-gakuryoku.htm |
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