学歴社会はなくならない











トップへ掲示板メール学校心理学WebRing
 学校の通知表はおかしくなっている! 学力低下はこうして起こる! 『下流社会』が登場するなど、格差社会が進む中、ゆとり教育が導入されたホントの理由とは? 誤った個性を重視した教育の弊害がまさに「ニート」と「フリーター」の問題なのです。 教育心理学の理論的見知と学習塾での実践的見知から、教育問題について斬新かつわかりやすい切り口で語る。教育界初の「すらすら読める解説本」がここに。教師も親も子も必見!教育問題を解決するヒントがここに。

<目次>
Chapter1.ゆとり教育になって学校はどうなったの? どうしてゆとり教育が始まったの?/いわゆる『ゆとり教育』になるまで
Chapter2.学力が低下してるってホント? 学力低下はこうして起こる!/学力低下を防ぐにはどうしたらよいか?/もう一つの学力低下=学ぶ意欲の低下はどうするの?
Chapter3.算数の教科書が薄くなってどうなったの?
Chapter4.通知表がおかしくなったってホント? 通知表のつけ方はどう変わったの?/絶対評価とか相対評価っていったいなに?
Chapter5.『円周率=3』ってのは大ウソってホント?
Chapter6.スクールカウンセラーっていったいなに?
Chapter7.学校の先生のレベルが落ちてるってホント?
Chapter8.学校評議員制度ってなに?
○学歴社会とは
 学歴社会というのは,学歴によって,職業選択,給与体系,出世速度などが左右される社会のことです。バブル崩壊以降,実力主義や能力主義の社会を迎え,いわゆる有名一流大学ブランドという学歴社会はなくなったように思われますが,果たしてそうでしょうか?

 私は,必ずしも学歴社会でなくなった,あるいは学歴社会ではなくなるとは思っていません。むしろこれまでよりも拍車がかかるとさえ思っています。それは,○○大学といった大学の名前による「ブランド学歴社会」ではなく,高卒なのか,大卒なのか,はたまた大学院卒なのかという「高学歴社会」を迎えるということです。

 もう一つ付け加えておくと,これからは学歴社会というよりも「学力社会を迎える」と言うことです。待遇面で高卒と大卒を比べると高卒<大卒となっています。これは詳しく資料を調べてみればわかることです。学歴社会では,本人の能力いかんに関わらず,高卒か大卒かだけで待遇面に差が生じてくることが問題でした。しかし,学歴が高ければ高いほど,能力が高いのも当然のことです。そう考えると,結果的に高卒<大卒と待遇面で差が生まれてくるのは,別におかしなことではないでしょう。

 20世紀は製造業が中心でしたが,21世紀は知的産業が中心になるでしょう。こうなると,ますます能力の違い,特に知的能力(一般に言う知能のことではなく)の違いが,待遇面の違いへとつながってくると思います。つまり,「知的能力が高ければ高いほど待遇が良い」ことになります。問題は,ここでいう「知的能力」が,いわゆる「学力」とみなされることです。
○「学歴」社会から「学力」社会へ
 「知的能力=学力」と見なされているあかしとして,最近の就職事情を考えてみましょう。バブル期は,それこそ偏差値の高い大学出身ということだけでいくらでも就職口はあったでしょう。しかし,バブル崩壊と共にこうした幻想は崩壊しました。企業や官庁によっては大学名を問わないところもあります。つまり,どこの大学を出たかは関係なくなり,大学さえでていればよいということになりました。

 では学歴の代わりになるモノは何か? それは学力です。ここで言う学力とはひと言で言うと「ペーパーテストの点数」です。一般企業の就職試験や官庁の採用試験はすべてと言っていいほどペーパーテストです。こうしたペーパーテストに中学校や高校で習う国語や数学といった科目があるわけではありません。中身は教養試験や一般常識,専門,時事問題と呼ばれるものです。しかし,目を大きく見開いてよく見てみると,名前こそ「教養」や「常識」と違うだけで,中身は国語や社会,数学といった教科と何ら変わりません。さらに,大学での専門の科目,いわゆる法学や政治学といった学問分野も加わり,その範囲たるや莫大なものになります。

 そして,タチの悪いことに,こうした教養や常識と呼ばれているものの多くが,必ずしも社会人になるため,あるいは就職してから役に立つものではないということです。また,センター試験とは違い,必ずしもテストの専門家がつくったわけではないですから,出題の中身や範囲,形式,時間もかなりいい加減です。SPIという職業適性検査がありますが,これも良くも悪くもペーパーテストです。

 最近では企業も“人物重視”を採用の基準にあげています。確かに人物重視となっていますが、肝心な人物像を見極めるためには、時間をかけてじっくりと新卒採用時に適性を見極める必要が出てきます。そのために、まず“ふるい落とし”としてペーパーテストが行われるわけです。このようなペーパーテストで良い点をとることこそが,就職への第一関門を突破することになります。これこそ学力社会に他ならないのです。
○ペーパーテストの何が悪いのか
 なぜここでペーパーテストの悪口ばかりを言うかというと,理由はペーパーテストの現状と限界にあります。ペーパーテストで問えるものは知識が大半です。その人がどんなことに興味があり,どんなことができ,どんなものの考え方をするのかとか,その人の性格や人間性は,決してペーパーテストでは調べられないということです。にもかかわらず「なぜペーパーテストが好まれるのか」。それは,ペーパーテストが人を選抜するのに便利だからです。いわば「ふるい」です。企業や公官庁の就職試験には何百人,何千もの人が受験します。この中から優秀な人材を見つけること簡単なことではないでしょう。ひとりひとり面接していたら,何ヶ月もかかってしまいます。そこで,「まずペーパーテストをやらせて,点数の低い者を不合格にする」。そして,残った人の中から面接をするなどして最終的に判断する。こんな便利な方法はほかにはありません。

 ペーパーテストが好まれる背景には,こうした便利さともうひとつあります。それは,受験生が努力したかどうかです。才能だけでテストで良い点がとれる人はほとんどいません。むしろ覚えたり勉強した人が良い点をとれる,それがペーパーテストの性質です。試しに大学生のみなさん,センター試験の問題をもう一度解いてみてください。きっとさんざんたる点数になるでしょう。

 テストがあって,そのテストで良い点がとれるようにどれだけ努力したか,これはある程度点数に反映されます。つまり,テストで点数の高い者は努力した者,点数の低い者は努力が少ない者と言えます。大学でも企業でも努力しない人よりは努力する人を欲しいのは当たり前ですね。しかし,努力した内容はあまり意味のあるものとは言えません。このあたりは検討の余地があります。

○努力
 努力することは大切です。これは否定しません。しかし,どんな努力をしているかが問題です。自分の能力を高めるための努力なら文句ありません。ですが,テストの点数だけを上げるための努力は意味があるとは思いません。もちろんそれでも努力自体は無意味なことではないでしょうが,努力した中身は無意味・無駄としか言いようがありません。努力は大切ですが,努力したことが身に付くものならなおのこと良いでしょう。あるいは,目的にあった努力をしなければいけないでしょう。

 みなさんも良くご存じな世界の「ホームラン王」こと王選手の偉大な記録は,その才能だけでなく努力の裏付けがあったからこそです。畳がすり切れるほど素振りをした。こうした努力があったからあれだけのホームランが打てたのでしょう。逆の見方をすると,良いバッターになるために素振りをしたという努力は,努力自体もさることながら努力した内容も大切なことです。いやむしろ努力した中身が大切かもしれません。

 王選手は良いバッターになるために素振りをしました。イチロー選手もメジャーで通用するために,メジャーに行く前からメジャー用のボールを使って練習したり,ウェイトトレーニングをしたりしました。だからこそ結果が残せたわけです。王選手が良いバッターになるために,文学や歴史,法学や政治学を勉強したなんて聞いたことありません。イチロー選手がメジャーで成功するためにアメリカの独立戦争を研究したなんて聞いたことありません。努力が大切だとは言っても,こうした努力は良い野球選手になるためにはあまり意味がありません。

 それと同じように,社会人になるために教養試験や一般常識を勉強するという努力はあまり意味があることとは言えないでしょう。どうせ努力するならもっと意味のある努力をすべきです。
○大学全入時代
 やや話がそれましたが,大学全入時代を迎えようとする現在,どうして学歴社会・学力社会がなくならないのか? それは未だテストの点数だけで決まってしまう部分が多いからです。私立中学も高校も大学もすべてテストの点数で決まります(テストの点数で決まらないのは大学の単位ぐらいなものです)。そして今や就職までもテストの点数で決まってしまう時代です。

 これまでは大学の名前がものをいっていた世の中でしたが,今はテストの点数ですべてが決まる世の中です。こうした社会になった原因は大学進学者が増えたことです。近いうち大学全入時代を迎えます。これは大学生の質を低下させ,数を増加させることになります。つまり質より量の大学生になるわけです。実際,大学生の学力低下が問題になってきました。これは偏差値の高い大学でも程度の違いはあれ,見られる問題です。

 企業や官庁は事務職をのぞいたら大卒を採用するのがほとんどです。研究職や技術部・開発部に至っては大学院卒を採用するのが当たり前です。これまでは,高卒よりも大卒,大卒の中でも偏差値の高い大学出身者を採用していればそれなりに安心でした。しかし,大学生の中でも学力に疑問符がつく学生の割合は高くなってきました。それに加え大学生の増加という現状があります。

 こうして,多くの学生の中から優秀な人材を見つけることがより困難になってきたわけです。
○受験競争より過剰な就職競争
 就職協定の廃止,長引く不況などから,採用状況は依然超氷河期状態と言われています。こうした現状から学生はより多くの企業を受験したり,親方日の丸の公務員指向も高まっています。今就職戦線は猛烈な競争状態にあります。競争倍率10倍20倍は当たり前,マスコミ関係に至っては100倍が現状です。これは受験競争など比ではありません。

 大学受験や高校受験は,基本的に問題が公表されます。逸脱した問題があれば教育委員会や中学校高校,マスコミが黙っていません。ある意味世論によって保護されていると言えます。そして何よりも塾や補習,模試などによって対策がとられています(最も好ましいことではないですが)。これは受験生を保護する役割も果たしています。倍率もあまりにも高い倍率になったらそれなりに対策がとられるのが当然です。しかし,これらは,皮肉にも子どもたちを甘やかす結果になっているかもしれません。

 就職競争では,問題は一切公表されません。もちろん一部の出版社によって問題は集められ,対策問題集として発売されていますが,あくまでも類似問題です。最もここで問題なのは,問題が公表されてない以上,批判のやり玉にあがらず,試験問題が一向に改善されないということです。就職試験や採用試験で「こんな問題出題して,意味があるのか」という議論は一切されません。大学受験で悪問と呼ばれるような問題が,就職試験では野放しになっています。

 選考基準も明確でない上に,出題範囲や内容もわからない。さらに,出題意図さえわかりません。これでは受験対策もままなりません。もちろん,受験対策自体好ましいことではありませんが,他人がやる以上自分がやるのはやむを得ません。

 こうした現状は教育をゆがめてしまうことになるでしょう。ちまたでは,興味・関心だとか,主体性だとか,生きる力が大切だといっておきながら,現状はペーパーテストの点数が良ければそれですべてが決まってしまいます。「生きる力が大切か?」,「テストの点数が大切か?」,こんなこと問う必要もありませんが,これからの社会は「生きる力=テストで良い点がとれること」になってしまうのです。
○ゆとり教育は時代に逆行する大失政
 「受験競争が子どものこころをゆがませる」というのは幻想で、真っ赤なウソだったのはもはや周知の通りです。バブル崩壊以降「ゆとりが大切だ」、「新しい学力(=興味や関心)が大事だ」とさんざんもてはやされてきましたが、21世紀は「情報化社会=知識量がものをいう時代」なのです。学歴社会はなくなる?実力主義になるということは、結果的に学力社会という形でますます加速するという皮肉な結果となりました。

 教育は国家百年の大計と良く言われます。ですから、教育は国の根幹をなす非常に重要な政策なのです。ゆとり教育は時代に流れに逆行した文部科学省最大の大失政なのです。そして、学校の先生はわれわれ一般の国民を代表して国の教育政策を監督・リードする存在のはずです。しかし、実際には教育の専門家であるはずの現場教師が、この誤った流れに迎合していたのは非常に残念なことです。





















(教心ネット:http://www.kyo-sin.net/)

トップページへ