| 臨床心理学 カウンセリングの理論と実践 |
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| ○臨床心理学とは | |||||
| 臨床心理学の臨床とは,「患者と接する」といった意味です。例えば,医者といえば患者を治療する人と考えがちですが,なにも医者の仕事は治療だけとは限りません。新しい治療法を研究したり,学会で研究成果を発表したりといった研究活動も医者の仕事のひとつです。 患者と接して治療を行う医者を「臨床医」と言います。臨床心理学は,この臨床という言葉に象徴されます。心理学といっても,多くの分野がありますが,臨床心理学は,悩みやこころの病に苦しむ人々をその苦しみから救うにはどうしたよいのかを考える学問です。体の病を治すのが医学だとしたら,臨床心理学はこころの病を治す学問なのです。 臨床心理学の実践には,心理療法家やカウンセラーと呼ばれる人々が携わります。当然,臨床心理学の理論や実践経験を積んだ専門家,こころの病の専門家です。 こころの病というと,何か客観的な基準(=症状)があることを想像しがちです。しかし,こころの病には,体の病と違って明確な症状がありません。体の病では,体温が37度を超えると「熱がある」という症状に当てはまりますが,こころの病ではこうした明確な症状がありません。最もこうした明確な症状がないことこそが,こころの病の特徴になります。 こころの病についてひとつ言えることは,程度や期間の違いこそあれ,だれにでも起こりうることだということです。近年不登校の問題をよく耳にしますが,だれにだって不登校になる要素はあります。ですが,不登校になる子とそうでない子の大きな違いは,どんなにつらいことがあっても学校に行けるだけのエネルギーがあるかないかということです。そして,エネルギーを充電させてくれる第三者がいるかどうかどうななのです。 ところで,なぜ近年になって臨床心理学という分野が必要になってきたのでしょうか? それは現代社会が抱える人間関係に問題があるからでしょう。こころのエネルギーを充電させてくれる第三者が欠如していることが原因のひとつだと言えます。 人間関係には,大人−子ども,上司−部下といったタテ関係と,友だち関係といったヨコ関係があることはよく知られています。しかし,人間関係にはもう一つ,ナナメの関係があると言えます。このナナメの関係が,現代社会では欠けているのです。 |
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| ○ナナメの人間関係 | |||||
| 人間関係において,タテ関係やヨコ関係というのを良く耳にすると思いますが,ナナメの関係というのもあることをご存じでしょうか。タテ関係とは,親−子,教師−児童・生徒の関係のことで,ヨコ関係とは友だち関係のことです。 ナナメの関係とは,タテ関係でもありヨコ関係でもあり,どちらか一方にだけあてはまるというわけではない関係にあることを指します。例えば,子どもから見て祖父母や叔父叔母の関係にあたる人や,兄姉の友人,友人の兄姉との関係,地域の人との関係などがそうです。 学校内では,教育実習生と児童・生徒の関係,あるいは保健室の養護の先生と児童・生徒の関係などがそうです。年上でありながら,それでいて子どもたちと同じ目線で接することもできる,そういう立場の人間が「ナナメの関係にある人間」です。 ナナメの関係にある人の存在は,子どもの教育や発達にとっても,心理学的に見てもとても重要です。なぜか? 年上であるということは,子どもたちと比べて知識や経験が豊富だというになります。それは,子どもたちの葛藤や悩み,不安,疑問,友だちや親との衝突など,諸問題への対処法を心得ている,あるいは悩みやストレスのはけ口でもあるということです。つまり良き助言・相談役であるということです。 そしてもうひとつは,子どもの味方であるということです。対親,対教師といったタテ関係では,当然子どもは不利な立場にあります。「頭ごなしに叱られる」,この子どもの立場の弱さは,タテ関係の弊害でもあります。もちろんタテ関係が悪いという意味ではありません。親や教師は子どもとタテ関係の立場にあるべきなのです。 必要なのは,第三者の存在です。叱る側と叱られる側,教える側と教えられる側の間に立つ人間なのです。 子どもが大人になるための必要条件として,自分の欲求と他者の欲求との(個と社会のジレンマ)衝突を受け入られるようになることがあげられます。自分が好きなように振る舞うことは,最大の自己満足ですが,それでは社会が成り立ちません。社会が成り立つためには,自分の欲求はある程度犠牲にしなければいけません。こうした個と社会のジレンマの中で,欺瞞やえこひいき,ホンネやタテマエのギャップは避けては通れない問題です。子どもは大人や社会に対して少なからず疑問や不信感を抱いています。「なぜ勉強しなければいけないのか」,「なぜ髪の毛を染めてはいけないのか」,こうした疑問に親や学校は明確な答えを出してやることはできないし,またそういうわけにもいかないでしょう。では友だち同士なら明確な答えが得られるかというと,必ずしもそうではなく,単なる愚痴やわがまま,感情論に終わり,何ら問題解決には至らないでしょう。 結局のところ,ナナメの関係にある人間は立場が違うため,大人や同年代の友だちとは違った形で,知識や技能,人間関係や人生観みたいなものを教えたりアドバイスをすることができるわけです。このようなナナメの立場の人間は昔は多く存在したと思います。しかし,今はそういう存在の人が子どもたちの身近に少なくなっています。 人間関係の基本単位は3人だと思います。AとBの関係が悪くなれば,Cが仲裁する。こういう相互補完的な関係が大切でしょう。しかし,現状はというと母親−子ども,教師−児童・生徒,いじめっ子−いじめられっ子というように1対1(2人関係)の関係が多いでしょう(多数対1人というのは2人関係です)。こういう関係の中ではちょっとでも弱い子どもは心理的に追い込まれてしまいます。これを避けるために子どもの中にはわざと反抗的な態度(強がるような態度)をとったり,自ら心を閉じてしまったりするかもしれません。大人対子ども,強い者対弱い者,負けるのは子どもであり弱い者でしょう。だからこそ援軍の役割を果たす,ナナメの関係にある人間の存在は不可欠です。 |
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| ○カウンセラーってなに? | |||||
| カウンセリングとかカウンセラーという言葉が普及した結果,何でもかんでもカウンセリングとかカウンセラーと名付ける,安売りも目立つようになってきました。お金を貸したり,カツラをつくるときのカウンセリングとはちょっと異なります。 カウンセリングとは,悩みやこころの病について専門的な理論や実践経験を積んだ専門家があたる,治療や相談,教育のことを指します。こうした行為を行う人をカウンセラーと呼びますが,どういった専門家なのでしょうか? ひとつには,臨床心理士という民間資格を有する人がいます。また,精神保健福祉士や精神科医もそうです。それぞれには特徴があり,臨床心理士には,学校でカウンセリングを行うスクールカウンセラーや会社内で仕事面や人間関係面でカウンセリングを行う産業カウンセラーなど様々な分野で活躍が期待されています。また,精神科医には,医者であるという立場から,投薬治療や病院での入院治療が期待されます。 精神科医という職業の中身を見てみると治療色が濃いのに対して,カウンセラーと呼ばれる立場の人には,教育や相談,強いては,提案や助言といった役割が期待されます。私は,カウンセラーとは立場のことだと思っています。それは先に述べたナナメの関係にある立場です。 最近になって学校現場に,カウンセラー(この場合スクールカウンセラーと呼びますが)が配属されるようになりましたが,現場の先生にとってみれば「カウンセラーってなに?」っと思っている方が少なくないと思います。もちろん中には心理学に対して知識や理解のある先生方もおり,カウンセラーに寄せる期待の大きいでしょう。しかし,カウンセラーに対し疑問視する先生方も多いのが現状です。 こうした現状は,教師とカウンセラーの立場の違いや専門性の違い,役割の違いがはっきりしていないことによると思います。カウンセラーはカウンセリングの専門性を持って学校現場に入ってきます。しかし,学校現場には学校の先生の専門性があります。この2つの専門性は相容れないところがあります。学問でいう理論が実践とは異なるということでしょう。 学校の先生の中には,カウンセラーに対して「一般的なことや理論的なことしか言わない」といった疑問や不信感,あるいは「ちっとも問題が解決しない」といった不満をぶつけてきたりします。概して教師というのは「経験則」で物事を考え,行動すると言われています。もちろんこれは間違ったことではありません。しかし,経験則とはこれまで成功した例であり,今これからも通用するという保証はありません。時代が変わり,子どもをとりまく問題もこれまでとは変わってきています。当然,これまでの経験則で対処して解決しない問題が出てきます。さらに言えば,これまでは考えられなかった問題に遭遇することもあるでしょう。 こうした時代の変化の中で,カウンセラーという違った視点でものを言ってくれる立場の人間がいることは,現場の教師の発想の転換につながったり,自分自身が問題や葛藤の沼地から一歩外に出て,客観的に問題を見直す機会を提供してくれるかもしれません。また,今の子どもを理解する知識を提供してくれるかもしれません。 |