| 分数が出来ない大学生 | |||
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| 「分数ができない大学生」という本が出版されてから,大学生に限らず「学力低下の問題」がささやかれていますが実際のところどうなんでしょうか。 分数ができない大学生とは,例えば, 0.5−1.2×2/3−1/5(1.5−0.2)^2 5(3/4−1/4)−2÷1/4 というような計算ができない大学生がいるというのが問題になりました。しかしこんな煩雑な計算が解けることにどんな意味があるのでしょうか? ある人は、こうした問題がとけなくても日常生活には何ら支障はないのではないか、という人もいます。しかし,小数や分数の計算ができない人は,買い物などでの消費税の計算や何かを分配するときに代表されるように,日常生活に何らかの支障をきたすでしょう。 学力低下で一ついえるのは、進学率が高くなったこと(大学の増加等)が原因の一つだということです。 以前はいきたい人だけが大学へ行っていたが、今はやる気はべつにしてみんなが大学へ行こうとする。これによる競争の質が低下したためでもあります。これは文部科学省も認めてます。 進学率の向上は明らかに学力低下みたいな現象を引き起こします。現状の入試というのは,入学に値する学力を兼ね備えている者を選ぶというよりも,受験生の中から学力の高い順に定員分とっていくことになっています。だから,ボーダーラインは「あれこれができる学力がある者」ではなく,「定員」となっています。これは絶対評価ではなく相対評価であり,高いレベルでの競争下では相対評価は,よりできる者を選ぶという点で有効かもしれませんが,低いレベルの競争下ではドングリの背比べとなってしまいます。つまり,受験生のレベルが低くても「定員分は合格」にしなければいけない。こうやって,学力の満たない人でも受かってしまうわけです。こういう無意味なことが続いているのは,ひとえに効率主義と定員確保のためです。 特に私立大学では,学生が確保できないとそれだけ収入が減ります。これを防ぐために,A方式,B方式,C方式の教科数や科目内容が選べる入試を実施したり,地方入試やセンター試験使用の入試など,ありとあらゆる方法の入試を実施しています。一見受験生のことを考えてのようですが,これは全くの見当違いで,すべて大学のためなのです。多くの人が受験してくれる,それだけで大学は多くの検定料が入ってきます。多くの人が合格する,それだけで大学は多くの入学手付け金が入ってくる。多くの人が入学する。それだけで大学は多くの授業料が入ってくる。こうした私学の儲け主義は,受験をゆがめるだけではなく,質の悪い学生が大学へ入学することを許してしまっています。 大学にはいるために勉強することは大切なことですが,大学にはいるためだけの勉強は全くと言っていいほど意味がないでしょう。今の入試はそうした勉強を強制しているとも言えます。中学校や高校で習ったことが大学での勉強に必ずしも必要とは言えません。とはいえ、中学校や高校で習った内容で大学での勉強に必要なものもあります。例えば、経済学部で経済を学ぶ場合や教育学部で心理学を学ぶ場合です。理学部数学科でなくても、数学を実際に使うのです。この辺の認識がどうも大学入試には欠けています。 ※公立の中学校で業者テストを廃止したことも原因のひとつではという意見も聞かれます。これについては直接関係はないと思っています。ただ業者テストというのはある程度は必要だと思います。もちろんあからさまだと過剰な受験競争とか受験産業を煽るだけだけですが,業者テストが公立から排除されても業者テスト自体は存在します。それで,その業者テストはどこで受けるかというと「塾」です。でも塾に行ってるのは全生徒の一部でしかない。結局一部の生徒しか客観的な学力を測ることができなくなってしまった。これは学校間の格差がわからないっていう問題を引き起こしていると思います。受験者の偏りなどによって,テストの妥当性や信頼性が問題になっています。学力を客観的に測ることをやめてしまったとでもいうんでしょうか。 「受験競争がよくない」という考え方が,学力評価や入試をいい加減なものにしてしまったことは否定できないと思います。 |
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| 入試で何を測るべきか? | |||
| 一芸入試や推薦制度,面接重視や論文試験などはどれも多面的に,そして個性を測定するのに向いていそうですが,肝心の基礎学力を測ることを忘れてしまってはいないでしょうか。理学部数学科なのに「入試に数学がない」とか,医学部なのに「生物を受験科目で選択しない」というのは本末転倒です。こうした誤った入学試験は明らかに大学生の学力を低下させている一因でしょう。 先ほども書いたように,法学部の入試には数学がある。法学を学ぶのに数学は必要でしょうか? 答えはノーです(厳密に言うと,数学は必要ではないでしょうが,数学的な思考=論理的な思考は必要です)。このことを論理的に考えてみましょう。 1.法学部に入るには→論理的思考が必要 2.論理的な思考を測る→入試に数学を課す 3.数学ができる→論理的な思考ができる=法学部にはいるに必要な力がある さて1から3までで,順番に検討してみましょう。1は問題ありません。問題があるとしたら2と3です。これは論理的には正しくないです。なぜなら数学と論理的思考を集合の概念を用いて考えると,「数学⊂論理的思考」となるでしょう。つまり「数学ができれば論理的な思考ができる」は概ね正しいですが,「論理的な思考ができれば数学ができる」は必ずしも正しくないでしょう。こうして考えてみると,入試に数学があることは論理的な思考を測っているのではなく,数学という教科ができるかどうか,あるいは論理的な思考のほんの一部を測っているかということに過ぎません。 では論理的思考を測るには入試で何を問うべきか? それは三段論法のような論理的思考そのものを測るしかないでしょう(もちろんこれでも不十分ですが,少なくとも数学だけよりは多くの論理的思考をみることができるでしょう)。こうした力を測るのに数学のような教科で代用してもあまり意味がないと私は考えます。しかしながら、現状のカリキュラムでは、入試で論理的な力を問うには、数学という教科で代用するしかないのです。 「分数ができない大学生」の大半は、大学入試であるいは高校在学の時点ですでに数学をあきらめてしまった人に見られた現象だそうです。たかが数学されど数学なのではないでしょうか? |
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