| 勉強ができない子 算数、数学、英語、国語 |
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| ○勉強ができない子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 漢字が書けない子,算数・数学ができない子,アルファベットが書けない子など,こうした子どもに学校の先生はさぞお困りでしょう。 勉強ができない原因として、「日ごろの努力不足」だとか,「前学年での学習が不十分」だったと考えるかもしれません。そこで,「もっと勉強しなさい」とか「努力しなさい」とつい小言を言ってしまうかもしれません。これは親も教師も同じです。つい,「できるように」と無理やり机に座らせ勉強をやらせたり,何十回も書き取りをやらせたりしてしまいます。しかし,本当にこれでいいのでしょうか? 本当に効果があるのでしょうか? 努力することはいいことだと思ってか,できないのは「なんでもかんでも努力不足だ」と考えてしまう親や教師は少なくないでしょう。しかし,世の中には決して努力だけではできるようにならないことがあります。 ○「やればできる」は正しいか? 「やればできる」が正しいかどうか,論理学で言う「命題,逆,否定,対偶」を使って考えてみます(詳しくは認知心理学の章を)。「やればできる」はここで言う命題です。命題が正しいかどうかを調べるには,対偶が正しいかどうかを調べれば良い。やればできるの対偶は「できなければやってない」となります。これは正しくありません。やってもできないことがあるからです。よって,対偶が正しくないので命題も正しくありません。 最も,論理学なんていう大それた学問を持ち出して考えるまでもなく,「やればできる」というのは正しくないのです。もちろん正しくないといっても,いつも正しいとは言えないということです。なんでもかんでも「やればできる」と考えている人がいたら考え直して欲しいものです。 勉強ができない子の多くは,やらないからできないのではなく,できないからできないのです。「なぜ」できないのか,「なにが」できないのか,これを放っておいて「やれ」というのでは問題解決にはなりません。 話はそれますが,近年,学習障害(LD)という言葉を良く耳にします。学校教育現場にも心理学が浸透した結果,幾分心理学的な知識や理論の混乱が見られます。厳密にはLDとは知能偏差に問題がなく,学習困難を伴い,情緒面や行動面で問題が著しい障害を指します。これまで述べてきた「勉強ができない子」というのは正確にはあてはまりません。最もLDの定義を広くすれば当てはまらないこともありません。しかし,LDという診断名が付こうが付こまいが,根本的な問題の解決にはなりません。更に言えば,LDは学習に困難を伴う障害となっていますが,「なんとデリカシーのない名前なんだ」と思います。 敢えて言うなら「学習困難児」とでもしておきましょう。さて、こうした学習困難児はなにがいけないのでしょうか? ここである本を紹介しておきます。「右脳を使えない子は頭が悪い 品川嘉也 青春出版」という本です。脳は、文字や数字を読みとったり文章を読み書きする言語中枢がある左脳と、図形や空間認知やイメージをつかさどる右脳の2つに分けられます。漢字の学習は言語中枢のある左脳を使います。しかし、漢字を象形文字のようなイメージで覚えようとすると右脳を使います。おそらく、文章題といわれる問題も、一見すると言語中枢である左脳の使用が大切かと思われますが、実はイメージをつかさどる右脳の働きが大切なのではないかと考えられます。結局、勉強ができない子は、こうした脳の使い分けがしっかりできないからだと考えられます。 では、どうやったら脳の使い分けがしっかりとできるようになるのか? それはかなり難しい問題です。一つは、日常的な状況では、右脳が発達しているとか右脳をしっかり使っているといったことはわからないからです。もう一つは、脳の発達というのは、まず3才までが大切であるということ。そして、遅くとも10才くらいまでにはほとんど脳の発達は完了してしまうといわれていることです。つまり、早い時期に適切な教育をほどこし、適度な脳の発達を促す必要があるのです。こういった教育は、ときに英才教育と呼ばれれたりします。しかし、こうした、いわば英才教育は必ずしも良い結果ばかりを生むわけではありません。例えば、幼稚園児で九九が言えるとか、山手線の駅名が全部言えるといった、一見天才!?と思われる子もいますが、その後小学校に入って算数の成績がさっぱりでだったという例もあるくらいです。こうした例は、当の本人が同じ年頃の友達が知らないようなことができるというだけでやる気になっているだけで、覚えたものそのものに何ら興味がないといったケースであったり、親が無理矢理教え込んだというケースだったりします。これはどちらかといえば「やる気」の問題なのですが、最も問題としなければいけないのは「できる」ということと「わかる」ということは違うということです。九九ができるということは、普通九九が言えたり、かけ算の計算問題が解けることをさします。しかし、割合や文章題が入ってくる5,6年生になると、とたんにかけ算ができなくなる子が多発します。かけ算ができなというよりも、どういうときに「かけて」、どういうときに「わる」かがわからなくなるのです。これは「かけ算」の「かける」という意味がわかっていないからです。詳しくは、参考図書「算数のできる子どもを育てる 木幡寛 2000 講談社現代新書」を参照してください。 さて、「できる」ということと「わかる」ということはどう違うのでしょうか。例えば、たし算一つとってみても大変奥の深い問題なんですが、「7+6」というくり上がりのあるたし算で、頭の中で7を5と2に、6を3と3にイメージとして分けられているかがポイントになります。こうした、くり上がりのあるたし算は、7に6をたすときに、6を3と3に分け、7に6から分けた3をたし、残りの3をたして、13と答えを出します。このとき7という数字が、10に3足りないということをどれだけ瞬時にそして感覚的に判断できるかが計算の速さと正確さへとつながります。 つまり、できる子の頭の中ではこのようなことが起きていると考えられます。「7という数字は、5と2からなり、10に3足りない。そこで加える数である6から3を借りてくれば10を作れる。だから、6を3と3にわけ、7に3をたし、残りの3をたして、答えは13である」と。ではできない子の頭の中ではどのようなことが起きてるのでしょうか。「7という数字を1と6にわける。加える数字である6を4と2に分ける。6に4をたして10。残りの2をたして、答えは12である」とこんな感じです。わざと間違いを示してみました。できない子というのはどこか要領が悪いというか効率の悪い方法、または場あたり的な方法をとっていると思われます。つまり、計算の手続きの意味がわかってないわけです。なぜ7を5と2に分けなる必要があるのか?それは10にいくつ足りないかが明確になるからです。しかし、できない子はこの意義すらわかっていません。ですから、場あたり的で要領が悪い方法をとっても何とも思わないのです。 イメージ図『○○○○○ ○○+○○○ ○○○』 |
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| ○よくあるつまづき | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| ○できないの心理学的視点 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| アルファベットのbとdやpとqを間違えたり,漢字の偏とつくりを逆に書いたり,2÷3が2/3なのか3/2わからない,といった間違いをする子がいます。こうした子は割合的にはクラスに1人か2人はいるものです。同じ間違いを何度も繰り返し,その都度つい「何回言えばわかるんだあ!」と怒鳴りたくなってしまいます。もちろん怒鳴ってはいけません。怒ってもいけません。 こうした子の特徴としては, 1.bとdを混同するといった鏡映文字を書いたりする(通常,鏡映文字は加齢とともに自然に消えていく)。 2.何度も同じ間違いを繰り返す。 3.自分でやり方や答えをつくる。 などがあります。 では,なぜできないのか? 人間が何かを習得するという事は,何かしらの情報処理をしていると考えられています。こうした処理過程で何らかのエラーが生じているのでしょう。 例えば,数学でよくある間違いとして,2X=1をX=2と解いてしまう生徒がいます。これは,2X=1の両辺を2で割らなければいけないのに,左辺だけ2で割り,右辺は2を掛けるという間違いをしていると考えられます。 2X=4ならほとんどの生徒が間違えずに,X=2と答えることができます。しかし,2X=1になると,X=−1とかX=2といった誤答が目立ちます。こういう間違いをする生徒の頭の中では一体どういうエラーがおきているのでしょう? まず,2X=4という問題で,左辺の2Xの係数2で右辺の4を割るという作業をしているかもしれません。このとき4÷2=2と正しい計算ができれば正解となります。しかし,2X=1で同じ事をやると,右辺は1÷2という計算をしなければいけません。このとき,1÷2=2と間違った計算をすると,X=2という誤答になります。これは方程式以前の割り算で間違えていることを示しています。 あるいは2X=4という問題を,2+X=4という問題を混同してしまっているかもしれません。2+X=4なら左辺の2を右辺に移項して,X=4−2,つまりX=2となるわけです。もちろん,これは正しくありません。たまたま答えがあっているだけです。こういう間違いをする子は,2X=1という問題ではX=−1と答えているでしょう。 |
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| ○理屈はわかったが・・・ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
どんな間違いをするのかはよくわかっても,できない子はそうした間違いを頻繁に,かつ頭の中で起こすところが少々やっかいです。
間違いに至るケースとしては,まず,パターンTの問題をパターンUの解き方をしてしまうという,解き方の間違い(解き方の選択のエラー)があります(図1)。
しかし,生徒が解き方の間違いをしても頭の中では,それ以前の段階の問題の認知でエラーを起こしていると考えられます。このような場合は,解き方を教えても効果はありません。なぜなら,解き方が間違っているのではなく,問題の認知そのものが間違っているから,その結果として,間違った解き方をしているからなのです。 つまり,個々の問題に対応した解き方というのがあるにもかかわらず,「この問題ではどの解き方をすればよいのか?」それがわからないのです。こういう生徒には,「aX=b」と「a+X=b」はそれぞれ解き方が違うのだということを認識する訓練が必要でしょう。
次に図3のようなパターンの誤答は,はっきり言って割り算ができていません。掛け算では,2×1も1×2も答えは2で,同じです(もちろん意味は異なりますが)。つまり掛け算は掛ける数と掛けられる数を入れ替えても答えは同じです。しかし,割り算では同じになりません。つまり,2÷1と1÷2は答えも意味も異なります。これが一部の,児童・生徒を誤答へと導きます。2÷1のように割られる数の方が割る数より大きい場合は問題ないのですが,1÷2のように割る数の方が割られる数より大きい場合は,逆にしてしまいます。これは分数でもよくあることです。 こうした現象が起きる原因としては,まず,割り算や分数の概念がよくわかっていないことと,もうひとつは認知的な能力の問題(視覚の問題)です。割り算を分数にする場合は,分子に割られる数を,分母に割る数をもってこなければいけない,というのは概念の問題です。しかし,これがわかっていたとしても,1÷2のように割る数の方が割られる数より大きい場合に,割られる数と割る数をごっちゃにしてしまう,これは視覚の問題です。 算数・数学のできない子の中にはこうした視覚の問題を抱えた子がたくさんいます。これはすでに学習指導のレベルを超えた,治療や訓練が必要なレベルだと言えます。しかし,学校の先生が一部の子どもの認知的な治療や訓練を行うことは,技量や時間的な限界を超えています。これにはそれ相応の専門家が対応すればよいでしょう。その専門家こそスクールサイコロジストだと,私は考えています。 |
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